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思ったことを忘れないように、考えたことを思い出せるように

アメリカ大統領制の現在

 

「民主主義は過大評価されている」

 

 

『House of Cards』 / David Fincher
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数ヶ月前からNetflixでだらだらと『ハウス・オブ・カード』を観ていて、アメリカの大統領制について理解をしながら観たほうが面白いだろうと思い適当な本を探してようやく見つけた1冊。少し古いけどまぁ仕方がない。

 

アメリカ大統領制の現在 権限の弱さをどう乗り越えるか (NHKブックス)

アメリカ大統領制の現在 権限の弱さをどう乗り越えるか (NHKブックス)

 

 

  • 国民代表観

アメリカに植民地が形成された時期、イギリスでは名誉革命を経て国王に対する議会の政治的影響力が大きくなっていた。
植民地(アメリカ)住民は、この頃の議会中心主義的な思想をイギリスと共有していたつもりだった。

 

イギリス人『主権は王様じゃなくて議会にあるべきでしょう!』
アメリカ植民地住民『そうだ!議会を中心に物事を決めていくべきでしょ!』

 

その後、イギリスではエドマンド・バークらにより、議会ではすべての議員がイギリス統治下にあるすべての地域のことを考えて政策決定すべきという国民代表的な代表観が形成され、植民地代表がいない場でも政策決定がされていく。

 

バーク『議員は選挙区の利益誘導者じゃないよ!統治下すべてのことを考えよう!』
アメリカ植民地住民『...ん?』

 

アメリカ植民地住民は以前のイギリス的な地域代表観による議会を根拠に自らの正当な政治的主張を行おうとし、以前のイギリス国制の継承を追求した。

 

 アメリカ植民地住民『いや、地域代表でしょ、だって、ここイギリスじゃないよ、アメリカだよ?アメリカに住んでる人が決めるでしょ普通』
『っていうかそれがイギリス風な考え方だったでしょ』
『むしろこちらの考え方が正当だから、イギリス風な考え方を正しく実行しているのはこっちだから』
『物事を決める際は院内幹事を通してもらおうか』

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 ⇒独立戦争により、イギリスと断絶!

 

1776年にイギリスから独立、個別に成立していた13邦がそれぞれ憲法を制定。対外的にはアメリカという一つの国なのに各邦の関係を調整する仕組みがない。

 

アメリカ人『合衆国憲法中央政府が必要だ!』
『ん、でもあまり権限をもたせると君主制みたいになっちゃうんじゃない?』
『基本的には議会で決めるでしょ、中央政府のリーダーは拒否権くらいを与えることで良いんじゃないすか』

 

なお、合衆国憲法で“合州国”ではなく“合衆国”としているのは、アメリカ自体を創設した主体が州ではなく、社会の構成員一人ひとりがであるという正当性原理の転換を意味している。

 

独立戦争アメリカ人が憲法を制定するにあたり恐れたのは君主制の出現であった。そのため、議会を中心とした国制作りを前提としつつ、大統領には議会の行き過ぎを抑える程度の役割しか期待されていなかった。

 

憲法創設者たち『大統領にさ、あまり権限もたせると王様みたいになっちゃうじゃん』
『あるね』
『権限与えなくてもツイッターでどうにかするしょ』
『それな』

 

日本の場合は、政権与党から代表者が指名されるため、首相の議会での政策実行力の根源として与党の議席が確保されている。

しかし、アメリカの場合は大統領選挙と議会選挙が別物であるため、必ず多数党から大統領が選出されるわけではない。政府と議会との間にねじれ状態が生まれる可能性が高い。それでは、大統領にはそれに適切に対応できるか権限が与えられているのだろうか。

 

米大統領『さて、選挙にも勝ったし、大胆に政策転換していくぞ』
憲法創設者たち『ダメです、法案提出権はありません』
大統領『...え?』
憲法創設者たち『手紙を送って法案作るように促すのは可』
大統領『...は?』
憲法創設者たち『法案の拒否権はあります、3分の2以上の多数で再議決すれば成立しますけど』
大統領『...は?(怒)』
憲法創設者たち『ツイッターでどうぞ』

 

適切に対応以前に法案提出権がないようである。こうなれば唯一頼みの綱はツイッターのみ。

  •  ジレンマを乗り越える試み

20世紀以降アメリカの国内政治や国際的な地位の反映、またマスメディアの発達は大統領の存在感と役割を大きく拡大させた。

1930年代になると連邦議会は大統領が政策過程の中心となることを容認したし、連邦最高裁も同じく受け入れた。ここに現代大統領制が誕生したのである。

特徴的なのは大統領の役割の変換を憲法の修正なしに行った点である。日本の自衛隊のような憲法解釈により難局を乗り越える試みは珍しいことではないようだ。

 

物事が決まりづらい共和制から一人の人間に権力を集中させることでスピード感を持って政策を実行していった帝国が過去にあった、ローマ帝国である。共和制議会から大統領制への権力移行はローマ帝国の権力移行と同じなのだろうか?

大統領には国内外での諸問題に対する解決とそのためのリーダーシップが求められる、しかし選挙を行うと議会はねじれ状態となり、分割政府を作ってしまう。これは、大統領の政策主導を有権者が嫌っているからだと著者は分析している。つまり、大統領権限の拡大は世論の支持が得られないということが考えられる。

さて、どうすれば良いのか?

著者はこれまでの困難を克服してきたアメリカ政治の根底にある活力に期待し、今回も何らかの解決策を見出すだろうと期待している。つまり、まぁ漠然とした期待である。

 

大統領は今日も元気にツイッターで呟いている。自身の言葉を直接市民に届け、民意を後ろ盾とし議会へとメッセージを送る。憲法や制度が変わっていなくても、これは一つの新しい政治の形なのかも知れない。

 

写真は稚内にある防波堤ドーム。共和政ローマ元老院を彷彿とさせる、こういう回廊のどこかでカエサルも暗殺されたのだろうか。