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思ったことを忘れないように、考えたことを思い出せるように

言葉の力

言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。

ジャーナリスト宣言朝日新聞
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5月なのに寒い,今後毎年5月になってもこの気温のままだと衣替えのタイミングを間違え風邪を拗らせる人がたくさんでそうだ.ともすると5月にひく風邪を5月病と呼ぶ時代も来るかも知れない.


さて引用したのは少し前の朝日新聞のキャッチコピーである,初めて見たときになんとなく心に残ったような気がした.いや,実際に残ったから何年も 前のキャッチコピーを一部だけでも憶えていたのだろう,最近それを思い出し,全文を探すため検索してみたら内田樹がこのコピーのことを「全く同意できな い」とばっさり切り捨てていた.泣いた.

言葉が感情的なのも残酷なのも無力なのもそれは言語運用者の道具としての言葉の表現方法である.言葉はある意味で道具であるが,言葉の力とは本来表現方法としての概念ではない,というのだ.内田樹いわく

「言語の力」とは、「自分が何を言っているのかわからないにもかかわらず『次の単語』が唇に浮かび、統辞的に正しいセンテンスが綴られる」事況そのものを指している。

『言葉の力』 / 内田樹の研究室

というらしい,まったくわからなかったが全文を3回読んでなんとなくわかった.多分,言語は思考を表現する手段ではなく思考を形作る存在ということを言っているのだ.つまり思考を形作る存在の言葉が,なにかを考える前に感情的だった り,残酷だったり,無力だったりするのはおかしいのである.

何かを書いたり話したりしていると新しいことに気づくことがある,自分がこんなことを考えていたのかと思うことがある,相手になにかを伝えようとするとき途中で方向転換するような違和感.最初に伝えたいことがあり,そのために周り道をしていたら途中で違う道を見つけた状態によく似ている.つまりそれが言語によって形作られた思考だったりするんじゃないだろうか。

こういう言語によって世界文節がもたらされるっていう考えって、サピア・ウォーフ説だとか言語相対論とかに似ている気がする。何か関係があるのかしら。


「言葉の力」 / 内田樹
http://blog.tatsuru.com/archives/001559.php