ice_blog

思ったことを忘れないように、考えたことを思い出せるように

風立ちぬ、いざ生きめやも

かつて、日本で戦争があった。
大正から昭和へ、1920年代の日本は、不景気と貧乏、病気、そして大震災と、まことに生きるのに辛い時代だった。
そして、日本は戦争へ突入していった。当時の若者たちは、そんな時代をどう生きたのか?
イタリアのカプローニへの時空を超えた尊敬と友情、後に神話と化した零戦の誕生、薄幸の少女菜穂子との出会いと別れ。
この映画は、実在の人物、堀越二郎の半生を描く――。

風立ちぬ』 / 宮崎駿
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毎年8月が近づくと戦争関係の本やら映画やらを見るというのが、ここ数年の夏の過ごし方だった。今年はジブリゼロ戦の映画を作っているというので、7月の終わりに『風立ちぬ』を見てきた。(それを2ヶ月も経ってから日記に書こうとしている)

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風立ちぬ [DVD]

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ラブストーリーか!と見終わったときに言いそうになった映画だった。

「まことに生きるのに辛い時代を当時の若者たちはどう生きようと試みたのか?」
映画の予告を見てそんなことを思いながら本編を見てみると、何か違和感があった。
同じ戦争映画でも火垂るの墓と決定的に違うのはなんだろう。

ゼロ戦設計者の話なのに、あれ?戦争やってたの?という感じなのだ。戦争の匂いがあんまりしない。「戦争を美化している」という人がいるなら多分映画を見ていないのだろう。

堀越二郎はエリート

海外の飛行機を視察に行って、帰りに避暑地で休暇を過ごし、外国人と異国の言葉で語り合い、「Le vent se lève」と言われたら「il faut tenter de vivre」と返すようなインテリ屋さんで、夢と狂気の王国(メイキング映像)で宮崎駿が「昔のインテリは声が高く、頭良すぎて多くを語らない」と言うように秀才だったのだ。


その二郎を“生きるのに辛い時代の若者たち”と括って良いのだろうか。「飛行機を作るお金で日本中の子どもにご飯を食べさせることができる」という話をして、「それでも飛行機を作りたい」という若者を“生きるのに辛い時代の若者”と呼んで良いのかどうか、間違ってはいないんだけど、なんだろうこのもやもや感...

さて、その違和感を別にすれば映画が終わったときの感想は最初に書いた「ラブストーリーか!」というものだった。

 メイキングで宮崎駿が主人公の声に庵野秀明を起用する際に、「庵野はものすごく誠実な男ですからね」と言うが、これは庵野が演じる堀越二郎が誠実な男だったということであり、その堀越が何に対して誠実だったかというとそれは残念ながら菜穂子ではなく、飛行機に対してであった。
そうじゃなければ「僕たちには時間がないのです」と言いながら飛行機作りを続けたりしない。エリートでインテリで自分の好きな飛行機作りにすべてを注ぎたい。他のことも大切だけどそれは飛行機作りの時間が余ったらね。というくらい自分に誠実。よってこの映画は二郎と菜穂子のラブストーリーではなく、二郎と飛行機のラブストーリーとまで言うと過言かも知れないが一理くらいはありそうなものである。