二十世紀 日本の戦争
やはり日本がこの戦争を、精神においても体験しなかったことは、世界史から取り残されたといっていいほど決定的だったと思います。
『二十世紀 日本の戦争』/ 阿川弘之ほか
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通勤時間を使って、ようやく『二十世紀 日本の戦争』を読み終わった。
明日には返してしまうので簡単にまとめてみよう。
阿川弘之, 中西 輝政, 福田 和也 , 猪瀬 直樹 , 秦 郁彦 の5名が二十世紀の日本に関する戦争をそれぞれ論じている。
この百年の間、日本は多くの戦争にかかわった。日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、満州事変に端を発する日中戦争、そして、太平洋戦争。世界で最も平和を謳歌しているように見える戦後でさえ、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などは日本の国家、社会に大きな影響をおよぼした。平和を美しく語るのもいい。しかし、破壊と大量殺人をともなう戦争という人間の営みを正面から見つめることなくしては、新しい時代の平和は決して語れない。(amazonより)
読んでみると、戦争は日本だけがやっていたわけでもないし、戦争が始まったのは太平洋戦争からではない、そんな当たり前のことを思う。
二十世紀の戦争は因果関係が重なっているものも多ければ、内容そのものが似通っている例も多い。例えば
第一次大戦は、第二次大戦で日本がいまだに非難されているような失敗とか、ひどい非人間的な支配だとか、ペテンの大本営発表だとかの先例がすべて出揃った戦争でもある。
太平洋戦争の際に帝国陸海軍が戦果を誇張して発表していた「大本営発表」は、一次大戦の頃すでにイギリスで行われていた。
イギリス国内の報道では「勇敢なる第○○連隊が10マイル前進した」、「今日は○○マイル」、「今日は○○マイル」と全部足すとベルリンまでの距離よりだいぶ長くなってしまっている。太平洋戦争の日本の大本営発表と同じである。
また、
具体的な例でいうと、フランス哲学者アンリ・ベルグソンの唱えた「エラン・ヴィタール(生の飛躍)」という考え方ですね。精神力こそすべてで、それによって世界を制圧できるんだと。銃剣突撃で、どんな火力でも必ず制圧できる、というわけです。これが当時のヨーロッパの思想の核をなす部分でした。
物質的な不利は精神力で補おうとしていた日本軍ととても似ている。
では、日本はそれらを手本とし研究できなかったのだろうか。
実際には、帝国大学を出た指導者層、官僚層がヨーロッパで戦跡巡りをしている。しかし、そうしたエリートも、戦跡での経験に戦術レベルでしか興味を示さず、あくまで「戦争は軍人の仕事」と捉えて、戦争全体の運営ということまで考えることは出来なかったようです。
映像の世紀でも言われていたように、それまでの"数週間で終わるロマンに溢れた遠足"のような戦争が総力戦、殲滅戦に変わってしまったことでヨーロッパが受けたショックと同じものを日本は太平洋戦争で受けることになる。
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現代の立場から「大本営発表なんて馬鹿な発表を繰り返していた」なんて言うのは簡単だけれど、本当に残念だったのは一次大戦でヨーロッパで同じことがあったのに、それについてまじめに勉強や研究出来なかったことなんだろうと思います。