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サピエンス、その不思議なるもの

 

犯人は、小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの植物種だった。ホモ・サピエンスがそれらを栽培化したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化されたのだ。

 

『サピエンス全史』 / ユヴァル・ノア・ハラリ

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サバンナの負け犬だったわれわれサピエンスがどのようにして今の繁栄を築いていったのかを分かりやすく説明している。読んでいるとスケールが大きすぎて、現代の問題が瑣末なものに見えてくるから不思議である。

 

おこがましくも自らを賢い人間(サピエンス)なんて自称してしまった自分たちについて、メモついでにいくつかを引用しておく。

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 
サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

 

だが、直立歩行には欠点もある。私たちの祖先の霊長類の骨格は、頭が比較的小さい四足歩行の生き物を支えるために何百年にもわたって進化した。したがって、直立の姿勢に順応するのは大変な難題だった。その骨格が、特大の頭骨を支えなければならないのだから、なおさらだ。ヒトは卓越した視野と勤勉な手を獲得する代償として、腰痛と肩凝りに苦しむことになった。
女性はさらに代償が大きかった。直立歩行するには胴回りを細める必要があったので、参道が狭まった――よりによって、赤ん坊の頭が次第に大きくなっているときに、女性は出産にあたって命の危険にさらされる羽目になった。赤ん坊の脳と頭がまだ比較的小さく柔軟な、早い段階で出産した女性のほうが、無事に生き長らえてさらに子供を産む率が高かった。その結果、自然選択によって早期の出産が優遇された。そして実際、他の動物と比べて人間は、生命の維持に必要なシステムの多くが未発達な、未熟の段階で生まれる。子馬は誕生後間もなく駆け回れる。子猫は生後数週間で母親の元を離れ、単独で食べ物を探しまわる。それに引き替え、ヒトの赤ん坊は自分では何もできず、何年にもわたって年長者に頼り、食物や保護、教育を与えてもらう必要がある。
この事実は、人類の傑出した社会的能力と独特な社会的問題の両方をもたらす大きな要因となった。自活できない子供を連れている母親が、子供と自分を養うだけの食べ物を一人で採集することはほぼ無理だった。子育ては、家族や周囲の人の手助けをたえず必要とした。人間が子供を育てるには、仲間が力を合わせなければならないのだ。したがって、進化は強い社会的絆を結べるものを優遇した。そのうえ、人間は未熟な状態で生まれてくるので、他のどんな動物もかなわないほど、教育し、社会的生活に順応させることができる。
(pp22)

 両腕が歩行から開放されたことにより、より自由に両手を使えるようになった反面、胴回りの狭小化により、赤ん坊をそれまでよりも早いタイミングで出産することが必要となった。生命維持に必要なシステムが未熟な赤ん坊は長年に渡り庇護者を必要とし、それがサピエンスに他人と共生していくという社会的な能力をもたらす要因ともなったと指摘している。

私たちの言語が持つ真に比類ない特徴は、人間やライオンについての情報を伝達する能力ではない。むしろそれは、まったく存在しないものについての情報を伝達する能力だ。見たことも、触れたことも、匂いを嗅いだこともない、ありとあらゆる種類の存在について話す能力があるのは、私たちの知るかぎりではサピエンスだけだ。
(pp39)

虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。
(pp39)

だが虚構のおかげで、私たちはたんに物事を想像するだけではなく、集団でそうできるようになった。聖書の天地創造の物語や、オーストラリア先住民の「夢の時代(天地創造の時代)」の神話、近代国家の国民主義の神話のような、共通の神話を私たちは紡ぎ出すことができる。そのような神話は、大勢で柔軟に協力するという空前の能力をサピエンスに与える。
(pp40)

 7万年前を堺に、虚構(そこに無いもの)をあると考え、それも集団で信じられる能力をサピエンスが手にしたという。これにより、体格的にも不利だったネアンデルタール人を打ち負かし、果ては有限会社の設立に至るまで、集団で幻想を信じて、一つの目標に対して行動することを可能とした。これを認知革命と呼んでいる。

重要なのは、ないものをあると『信じて』、それによって今後社会が良くなるだろうと『信じた』ことだった。

それでは私たちはなぜ歴史を研究するのか? 物理学や経済学とは違い、歴史は正確な予想をするための手段ではない。歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。たとえば、ヨーロッパ人がどのようにアフリカ人を支配するに至ったかを研究すれば、人種的なヒエラルキーは自然なものでも必然的なものでもなく、世の中は違う形で構成しうると、気づくことができる。
(pp48)

 ヨーロッパ人がどのようにしてその他の地域を支配していくこととなったのかは、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』に詳しい。

文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)
 

 

 『銃・病原菌・鉄』では、狩猟採集社会から農耕社会へと生産システムを変えたことで、官僚や職業軍人、宗教家などが誕生し、また食料生産が安定したことによる余暇を使用して科学技術が発展したと説明している。

それに対して今回のサピエンス全史では、農耕社会への移行がサピエンス全体の幸福度にどれだけ寄与したのかという点を説明している。

人々が時間とともに知能を高めたという証拠は皆無だ。狩猟採集民は農業革命のはるか以前に、自然の秘密を知っていた。なぜなら、自分たちが狩る動物や採集する植物についての深い知識に生存がかかっていたからだ。農業革命は、安楽に暮らせる新しい時代の到来を告げるにはほど遠く、農耕民は狩猟採集民よりも一般に困難で、満足度の低い生活を余儀なくされた。狩猟採集民は、もっと刺激的で多様な時間を送り、飢えや病気の危険が小さかった。人類は農業革命によって、手に入る食糧の総量を増やすことはできたが、食糧の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。(pp106)

これによると、狩猟採集社会から農耕社会への農業革命は、安楽な暮らしとは遠く離れた、満足度の低い生活への移行だったようだ。では、なぜ満足度の低い生活へとわざわざ移行したのか、それについてハラリは、

では、それは誰の責任だったのか? 王のせいでもなければ、聖職者や商人のせいでもない。犯人は、小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの植物種だった。ホモ・サピエンスがそれらを栽培化したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化されたのだ。

ここで小麦の立場から農業革命について少し考えてほしい。一万年前、小麦はただの野生の草にすぎず、中東の狭い範囲に生える、多くの植物の一つだった。ところがほんの数千年のうちに、突然小麦は世界中で生育するまでになった。生存と繁殖という進化の基礎的基準に照らすと、小麦は植物のうちでも地球の歴史上で指折りの成功を収めた。
(pp107)

 と説明している。

小麦は、ウイルスなどの生存競争と同様に、人間を利用して植生範囲を広げ、世界中へと繁殖していくこととなる。ポイントは人間を利用して、という部分である。

種としての小麦になって考えると(相当無理があるが)、人間たちが必死になって種を蒔いて世話をして、刈り取って、新しい土地にも同じ種を蒔えてくれることで、どんどんと個体数を増やすことができる。一方、人間に戻り考えると、農耕民は狩猟採集民よりも苦労して働いても、見返りに得られる食べ物は少なくなってしまった。

では、狩猟採集に戻ろうじゃないか、と考えようにもそうもいかない事情があった。

一つには、農耕民は以前よりも得られる食べ物は少なくなったといっても人類全体では単位面積当たりの土地からはるかに多くの食物が得られ、そのおかげでサピエンスは指数関数的に数を増やせたということ。もう一つは、数を増やせたサピエンスは狩猟採集を行うには多すぎたということである。かくして農業革命は史上最大の詐欺と呼ばれることとなった。

その他、人類が長いこと小さな集団で進化してきたため、ここ数千年の社会体制に馴染めていないという話や、

豊かさを極めたまさにそのとき、ローマの政治体制は崩壊して一連の致命的な内戦が勃発した。一九九一年のユーゴスラヴィアは、住民全員を養って余りある資源を持っていたにもかかわらず、分裂して恐ろしい流血状態に陥った。

こうした惨事の根本には、人類が数十人から成る小さな生活集団で何百万年も進化してきたという事実がある。農業革命と、都市や王国や帝国の登場を隔てている数千年間では、大規模な協力のための本能が進化するには、短過ぎたのだ。
(pp133)

 自分のいる場所で流れている時間と、異なる場所で流れる時間がどのようにして同じものとなっていったのか、について説明している。

当時のイギリスでは、市や町ごとに時刻が違っていたので、ロンドンの時刻とは最大で三〇分の開きがあった。ロンドンで正午のとき、リヴァプールでは一二時二〇分、カンタベリーでは一一時五〇分ということがありえた。電話もラジオもテレビもなく、急行列車も走っていない時代だ。各地の時刻を知りえ、気にするものなど誰もいなかった。

一八三〇年、リヴァプールマンチェスターの間で、史上初めて営利の鉄道サービスが営業を開始した。その一〇年後には、初めて列車の時刻表が公表された。鉄道は従来の馬車よりも格段に速かったので、各地の時刻の呆れるほどの不統一は、大変な頭痛の種となった。そこでイギリスの鉄道会社各社は、一八四七年に一堂に会して相談し、以後すべての鉄道時刻表は、リヴァプールマンチェスターグラスゴーなどの現地時間ではなく、グリニッジ天文台の時刻に準ずることで合意した。その後、この鉄道業界の例に倣う機関が続々と登場した。そして一八八〇年にはついにイギリス政府が、同国におけるすべての時間表はグリニッジの時刻に準ずることを定めた法律を制定するという、前代未聞の措置を採った。歴史上初めて、一国が国内標準時を導入し、各地の時刻や日の出から日の入りまでのサイクルではなく、人為的な時刻に従って暮らすことを国民に義務づけたのだ。
(pp186)

1847年にイギリスの鉄道各社がグリニッジ天文台の時刻に準ずることで合意したときに、各地に同じ時間が流れるようになったという説明は興味深い。

また、二次大戦後の世界を下のようにも評価している。

これはとりわけ、第二次大戦終結後の七〇年についてよく当てはまる。 この間に人類は初めて、自らの手で完全に絶滅する可能性に直面し、実際に相当な数の戦争や大虐殺を経験した。 だがこの七〇年は、人類史上で最も、しかも格段に平和な時代でもあった。 これは瞠目に値する。 というのも、同じ時期に私たちは過去のあらゆる時代を上回る経済的、社会的、政治的変化も経ているからだ。
(pp202)

 サバンナの負け犬だったサピエンスをヒト族の頂点に立たせる要因となった認知革命、それが起こった時期に脳の機能に目立った変化は見られなかったことが分かっている。それは同時に現代のサピエンスから次代のサピエンスへの進化も些細な切っ掛けで起こるかも知れないことを示唆している。

ホモ・サピエンスを取るに足りない霊長類から世界の支配者に変えた認知革命は、サピエンスの脳の生理機能にとくに目立った変化を必要としなかった。大きさや外形にさえも、格別の変化は不要だった。どうやら、脳の内部構造に小さな変化がいくつかあっただけらしい。したがって、ひょっとすると再びわずかな変化さえありさえすれば、第二次認知革命を引き起こして、完全に新しい種類の意識を生み出し、ホモ・サピエンスを何かまったく違うものに変容させることになるかもしれない。
(pp249)

 不死の存在を目指すギルガメシュプロジェクトを説明し、欲望をコントロールする必要を述べている。

唯一私たちに試みられるのは、科学が進もうとしている方向に影響を与えることだ。私たちが自分の欲望を操作できるようになる日は近いかもしれないので、ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」かもしれない。この疑問に思わず頭を抱えない人は、おそらくまだ、それについて十分考えていないのだろう。
(pp263)

 

『サピエンス全史』がなぜビジネス書としてベストセラーの棚に並んでいるのか考えたときに、一つに『サピエンスを団結させた虚構を信じる能力』という部分の説明にあるように思う。

企業の経営とは帝国の運営であり、企業であくせく働かせることは帝国で人民をのほほんと生活させていくよりも、より統治として難しいのだ。その統治のために虚構を共有する、サピエンスの歴史を振り返ることはそういうことにも役立つのだろう。