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思ったことを忘れないように、考えたことを思い出せるように

キングダムに見る法の概念と現代憲法

 

日本国民は、国家の名誉にかけ、
全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 

日本国憲法前文
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一年半振りの更新である。

いろんな漫画を数多く読むというよりは、特定の漫画ばかり何度も読んでしまう癖というか習性があるようで、原泰久の『キングダム』は何度も読んでいる。

その前に、そんなに多くないであろう「『キングダム』ってなんやねん。」という人のために解説すると

古代中国の春秋戦国時代末期における、戦国七雄の戦争を背景とした作品。中国史上初めて天下統一を果たした始皇帝と、それを支えた武将李信が主人公。

 

という漫画である。シンプル。

 

 

中華統一を目指すはずなのに、60巻を超えても未だ統一出来ていないので、続きが楽しみな反面、『...こうして秦王嬴政と武将李信の中華統一への道は続いていくのである 完』とならないか些か心配ではある。

なんの話かというと、『キングダム』において、法の概念の話をしていたのを聞いて、なんだか現代の憲法の概念に近いような気がした話。

 

毎年夏になると戦争に関する本を読むというのが、ここ数年の習慣ではあったのだけれど、そのなかで数年前に読んだ『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』がなかなかに面白く、それ以来同じ著者の本を見かけたら買うようにはしている。

 

その『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』のなかで、”戦争は敵対する国に対し、どのような作用をもたらすのか”について、ルソーの『戦争および戦争状態論』の論文と、長谷部恭男氏の『憲法とは何か』から、以下のように説明している。

「戦争は国家と国家との関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃、というかたちをとる」

 

戦争というのは敵兵士を3割撃退したら判定勝ちになるとか、王様を捕らえたら優勝とかそういう次元のものではないんですよ、究極的に、本質的に突き詰めると相手国を構成する社会秩序の変容を迫る行為が戦争なんですよ、ということをどうやらルソーさんは18世紀に見抜いていたっぽい。天才か。

そこら辺の詳しい内容は以下のリンクの方が丁寧に分かりやすく説明しているので、メモしておく。

 

hamakado-law.jp

 

  • キングダムの法の話

さて、キングダムの話である。

現時点で60巻を超える話のなかで、何度か読み返して印象深い話があり、そのなかの一つに46巻の「地下牢の賢人」がある。

 

 

嬴政の政敵、呂不韋の側近で地下牢に繋がれている李氏に対して、昌文君が法について聞く場面である。

ちなみに李氏さんは法の番人どころか法の化け物と呼ばれている。
実態はどうあれ内閣法制局も法の番人と呼ばれているので、李氏さんも同じように法律的、立法技術的な審査を一人で行っているっぽい。地下牢で?一人で?化け物じゃん。

その李氏が昌文君との対話のなかで、「そもそも法とはなにか?」と問う場面がこの話のテーマでもある。

 

李「昌文君さ、そもそも法ってなんだと思ってるの?」

昌「それは、あれだよ、刑罰をもって人を律し...治める...ごにょごにょ」

李「いや、馬鹿、刑罰はあくまで手段じゃん」

昌「...!!」

李「刑罰はあくまで手段じゃん!!」

昌「(わかったよ)」

 

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じゃあなんなんだよ、と聞く昌文君に対し李氏は、

「”法”とは願い!国家がその国民に望む人間の在り方の理念を形にしたものだ!」

と説明する。昌文君も思わずぽんと膝を打つ瞬間であった。

 

  • 人間の在り方に対する攻撃

そこで、ルソーさんの話に戻ると戦争というのは、『相手国の主権や社会契約、憲法に対する攻撃』と言っている。一方で法の化け物さんは、法とは『国家がその国民に望む人間の在り方の理念』と説いている。

これらの話から、『戦争とは相手国がその国民に望む人間の在り方を変容させるために行うことを目的としている』ということをルソーさんと法の化け物さんは教えてくれている。

つまり、嬴政が中華統一を目指して戦争をしているのは、本質的には滅ぼされる側の国民に人間の在り方の変容を迫っているので、呂不韋や桓騎や李牧が嬴政に「ちょっと待て、止めろ、無理」と言っているのは、至徳当然というか、そこら辺の事情というか本質を肌感覚で分かってのことでしょう。

 

もちろん、憲法というのは、国家権力を制限するものではあるけれども、前文の最後の一文を読むと、当時の、そして今の国民に対し望む人間の在り方を記したようにも思えなくもありません。
それを作成したのが誰であったとしても。