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思ったことを忘れないように、考えたことを思い出せるように

意志の調和された世界<harmony/>

 「わたしには、人間の意志を制御しようとする試みそのものが、大問題に思えるけど」


『ハーモニー』 / 伊藤計劃
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 『虐殺器官』を読んだときから、読もう読もうと思っていた伊藤計劃の遺作『ハーモニー』をようやく読むことができたので、図書館に返す前に気になった部分をメモしておく。

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 

 21世紀後半、〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、 人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。 医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、 見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア"。 そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した―― それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰に、 ただひとり死んだはすの少女の影を見る―― 『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。 (Amazonより)

 

21世紀に起きた大きな戦争のあとでは、人はそれぞれが貴重な人的リソース、公共的身体として扱われることとなった。身体に悪いことは社会的に悪であり、自殺なんてのは以ての外。人々の健康は WatchMe と呼ばれるデバイスで管理されている。
資本主義消費社会から医療福祉管理社会へと移行した世界が舞台となっている。

 

 わたしたちは互いに互いのこと、自分自身の詳細な情報を知らせることで、下手なことができなくなるようにしてるんだ。この社会はね、自分自身を自分以外の全員に人質として差し出すことで、安定と平和と慎み深さを保っているんだよ。(P132)

 そんな社会。

 

  •  意志の制御を試みる

大災禍を生き残った老人たちは、再び同じような災禍を引き起こさないため、人間の意志を制御しなくてはならないと考え、ハーモニー・プログラムと呼ばれる実験を繰り返し、人間の意志の制御を試みた。
そこでは人間の意志とは以下のように記述されている。

 

人間の意志ってのは、常識的に思いがちなひとつの統合された存在、これだと決断を下すなにかひとつの塊、要するにタマシイとかその類似物じゃなく、そうやって侃々諤々の論争を繰り広げている全体、プロセス、会議そのものを指すんだ。意志ってのは、ひとつのまとまった存在じゃなく、多くの欲求がわめいている状態なんだ。人間ってのは、自分が本来はバラバラな断片の集まりだってことをすかっと忘却して、「わたし」だなんてあたかもひとつの個体であるかのように言い張っている、おめでたい生き物なのさ。(P170)

 

 大災禍を生き残った老人たちがやろうとした『意志の制御を試みる』とはどういうことなのか、それは人間の意識を『何かを決めようとした際に、論争が起こらず、始めから結論が決まっている状態』、『すべての選択に葛藤がなく、あらゆる行動が自明な状態』とすることをいう。そして、その状態を主人公のミァハは『意識が消滅した状態』と結論する。
 つまり、再び大災禍が引き起こされるのを防ぐため、すべての人間の意識を消滅させましょう、そうしましょう。

 

当初は『新世紀エヴァンゲリオン』の”人類補完計画”のようであると思って読んでいたけれども、どうも微妙に異なる。

 

 

人類補完計画では人が互いの認識の違いによって傷つくことがないように、自分と他人との壁を取り払い、人類をひとつの完全な生命体に進化させようという計画だったけど、ハーモニー・プログラムの場合は、人類補完計画で存在していたお互いの意識そのものを取り払うことによって秩序を維持しようという世界観のようだ。

お互いに傷つきたくないというナイーブな願いの人類補完計画に対して、 大災禍を引き起こさないためのハーモニー・プログラムなのだから随分とドライな印象。

 

現実世界の日々の雑事から逃れるため、無意識から戻ってきたミァハが言うように『恍惚の世界』に進むのも魅力的であるが、また一方では、侃々諤々、答えのでないことを考える、『云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどる』羅生門の下人のような意識こそが人間として生きている証拠のようにも思えてくる。

 

 

以下、気になった箇所を引用

「ユダヤ人を虐殺した連中ですよね」
「『連中』じゃない国家だよ。市民と投票と代議制からなる民主的制度の産物だ。そうやっ て生まれたナチスほど、人間の生活というものを細部まで分類して管理しようとした体制は、それまでなかったんだな。癌患者登録所というのを作って、癌に罹 患した人間を把握し、分類し、検査して、ナチスは人類史上初めて癌を組織的に撲滅しようとしたんだ」(P160)

 

善ってなんだと思う。
困っている人を助ける、とか仲良くする、とか、傷つけないようにする、とかそういうことじゃないよ。確かにそれもあるんだけど、そういうのはあくまで「善」の細かいディテール。良いこと、善、っていうのは、突き詰めれば「ある何かの価値観を持続させる」ための意志なんだよ。
そう、持続。家族が続くこと、幸せが続くこと、平和が続くこと。内容は何でもいいんだ。人々が信じている何事かがこれからも続いていくようにすること、その何かを信じること、それが「善」の本質なんだ。(P179)

 

王様が治めてた時代は、王様が逆らった奴を処刑するぞって脅して、みんなを従わせてた。暴力でみんなを従わせてた。だからフランス革命は成功したんだよ。王様をやっつければ良かったから。ある程度の数の人間が「これはみんなの意志だ」って僭称して、王様を暴力で打ち倒せばよかったから。けれど、民主主義以降、人々を律するものは、王様みたいに上から抑えつけるんじゃなくて、人々のなかに移っていった。みんなが自分で自分を律することになっていったんだよ。
みんなひとりひとりのなかにあるものが敵だった場合、わたしたちはどうすればいいの。(P181)

 

「本の内容に影響を受けて、似たような境遇の人たちが次々に真似しはじめたのよ、ウェルテルそれ自身は、作者であるゲーテの実体験を元にしているとはいえ、まったくのフィクションだった」
「フィクションには、本には、言葉には、人を殺すことのできる力が宿っているんだよ、すごいと思わない」(P224)

 

「わたしには、人間の意志を制御しようとする試みそのものが、大問題に思えるけど」「そう。そう言われるとは思ったよ。しかし考えてみたまえ、人間が身体を日々医療分子によって制御し、病気を抑えこんでいるというのに、脳にある『有害な』思考は制御してはならないという理由があるのかね」(P256)

 

「アメリカのマーサス・ヴィンヤード島に入植した人々は、大陸から切り離され、島内での近親婚を繰り返した。その結果、両親ともに聴覚障害の劣性遺伝子を保有しているという状況が多くなり、耳の聞こえない遺伝子は数世代を経て島の住民の大半を覆い尽くした。そこでは耳が聞こえる人間のほうが珍しかったんだよ。島の住民は皆、手話でコミュニケートをとっていた。手話こそが基本言語だった。何も不自由はなかった。そこでは我々が正常とする『耳の聞こえる』者こそが異端だったんだよ。そこには聴覚を必要としない文化が育っていたんだ」(P269)

 

「するかも。しないかも。そこらへんはよくわからない。親があっても子は育つ、って知ってる...」
「なんか、微妙に違わない。『親はなくとも子は育つ』じゃなかったっけ」
「そ、それが昔からある慣用句。でも、坂口安吾って作家はね、親というやくたいもない代物があるという事実をものともせず、子は子で一人前の人間に育つもんだ、って言ったんだよ。親という大切なモノがなくても一人前になることができる、とはぜんぜん別の意味。そこで言われてる一人前、がどんな一人前かについては、いろいろ意見が分かれるところだろうけど」(P288)